文芸評論家で東芝研究者 奥野健男と探る文学と科学の交差点

2017/09/27 Toshiba Clip編集部

この記事の要点は...

  • 太宰治評論の第一人者として知られる奥野健男は東芝の研究者。
  • 権威ある大河内記念技術賞を受賞した彼の大発明とは……。
  • 彼の東芝での発明は、あの有名な小説家の作品にも登場!
文芸評論家で東芝研究者 奥野健男と探る文学と科学の交差点

今なお、多くのファンを魅了して止まない昭和初期の文豪、太宰治。その太宰作品をはじめ、さまざまな文芸作品を鋭く批評し、論じ続けてきた文芸評論家がいる。『太宰治論』や『文学風土記』など、多くの著述で20世紀の文壇を彩った奥野健男である。

 

その奥野健男という人物が、旧制・東京工業大学(化学専攻)卒の理系人であり、東芝の研究者として多くの実績を残しているという事実は、文芸ファンにとっては驚きかもしれない。今回、なかなか見ることのできない東芝秘蔵の奥野健男関連資料を読みながら、文理に跨がる二足のわらじの足跡に迫ろう。

プリント配線の純国産化に成功

ここに、1964年1月に発行された、「東芝のほこり」と見出しがつけられた東芝の社内報記事がある。新年号として昨年を総括する意図から、1963年に主に社外から表彰された社内の事業・研究実績をまとめたページである。

東芝のほこり

事業・研究実績をまとめた社内報記事「東芝のほこり」 社内報『東芝ライフ』144号(昭和39年1月)

この一角に、プリント配線板用銅被覆積層板の製造技術の開発において、科学技術庁長官奨励賞、発明協会特賞を受賞した3人のうちの1人として、奥野健男の名前が確認できる。この研究は、科学技術分野の権威である大河内記念技術賞も1959年に受賞しており、まさに当時の活躍の痕跡を示す貴重な資料と言える。

 

プリント配線板とは、写真製版・印刷の技術を応用して作る電気回路のこと。まず、絶縁体である合成樹脂版に、導体である銅を全面的に付着させ、回路を描く。その回路以外の不要な銅をエッチング(※)により取り除くことで、回路を作り出す仕組みだ。

 

※エッチング
プリント配線板の場合、専用の露光装置を用いて紫外線(現在では、レーザー光やX線、電子線など)を照射し、塗膜の一部を除去することを指す。

プリント配線板

現在、使用されているプリント配線板

従来、プリント配線用の銅貼積層板はハンダ付けの熱に弱く、銅と合成樹脂の接着には海外の高温接着技術に頼らざるを得ない分野であった。そこで、奥野らは、銅箔表面を改良することで、接着力と耐熱性の強化をもくろむ。

手書き資料

定期的な研究報告として、本研究内容が詳しく書かれた手書き資料。
三浦勇三、奥野健男他『Research Memorandum』(No.1010(昭和30年7月7日)、No.2235(昭和33年4月10日))

銅と合成樹脂であるフェノール樹脂の接着が困難であるのは、銅が非極性物質(※)、フェノール樹脂が有極性物質(※)であり、この2つの極性(※)が異なるためだ。通常、有極性物質同士、非極性物質同士の接着は容易だが、反対の場合は接着しにくい。

 

そこに着目した奥野らは、亜塩素酸ナトリウムと苛性ソーダの混合水溶液により、銅箔表面を酸化第二銅層にすることで、非極性であった無処理の銅を酸化させて有極性にする方法を考案。有極性のフェノール樹脂との接着力を強化させ、日本初の純国産銅貼積層板の製造を可能とした。この接着力は海外の接着技術をも上回り、当時、トランジスタラジオなどに多く使用されたという。

 

※極性、有極性、非極性
電荷の分布の正、負それぞれへの偏りを指す。分子全体として電荷の偏りがない分子を「非極性分子」といい、電荷の分布が不均等な分子を「有極性分子」あるいは「極性分子」などという。

酸化第二銅層の接着力の強さを示したグラフ

酸化第二銅層の接着力の強さを示したグラフ
三浦勇三、奥野健男他「プリント配線(1)」(『東芝レビュー』13巻12号、昭和33年)

日本の発明史において大きな功績である銅被覆積層板の製造方法。実は、この発明がもたらした影響は産業界のみならず、文学の世界にまで及んだのだった。この研究を軸に科学と文学の間を探っていこう。

奥野健男の発明はあの小説のモデルにも!?

奥野健男の文理にわたる活躍を垣間見ることのできる作品。それは、昭和初期の小説家、伊藤整の『氾濫』(1957年発表)だ。映画化もされた同作は、戦後の日本を舞台に、軽金属の接着技術を開発した技術者、真田佐平を描いた長編小説である。その功績から取締役にまで出世した彼のもとにある日、妻の疎開中に結ばれた女が現れる。復興へ向かう混沌期の中、欺瞞や性、地位への欲望に満ちた、複雑な人間模様が展開されていく。

 

人が内包するエゴイズムを生々しく描き出したことで高い評価を得たこの作品。奥野は、当時、学生時代の恩師である伊藤から執筆にあたって接着剤に関するレクチャーを請われたことを明かしている。その結果、奥野らが開発した銅被覆積層板の製造技術は、『氾濫』に登場する種村恭助という青年科学者の仕事にはめこまれることとなった。

奥野が東芝社内報に寄せた『氾濫』に関するエッセイ

奥野が東芝社内報に寄せた『氾濫』に関するエッセイ
奥野健男「「氾濫」のモデルと私」(東芝社内報『東芝ライフ』90号、昭和34年6月)

『氾濫』は発表当時、その心理的リアリズムをめぐり、賛否両論に包まれ、大変な話題となった。その中で、奥野は、『氾濫』の面白さについて、奥野ならではの視点から論評している。

 

現代人の心理にひそむ物欲と性欲、組織と人間の関係を大胆に描いた、また現代人を家庭やセックスだけでなく仕事の面からも掟(ママ)えた日本には珍らしい小説として世評も高かった(東芝社内報『東芝ライフ』90号(昭和34年6月)より引用)

 

小説家にとって、恋愛や家庭生活といったプライベートな側面だけではなく、会社生活のようなパブリックな側面までを丹念に描くことは、決して容易ではないだろう。そのパブリックな部分が、専門性の高い科学研究である場合はなおさらのことだ。だが、現代人の生活は、プライベート・パブリックの両面が複雑微妙に関係しあったところに存在する。奥野は、各方面の相互影響を描き、現代人の全貌を浮き上がらせた作品として『氾濫』を高く評価しているのだ。

 

ここに、一見、相反するようにも見える文学と科学の接点を見ることができよう。『氾濫』の魅力の一端は、奥野健男が東芝時代に培った技術と知見、そしてそれをそしゃくする伊藤整の見識とセンスに支えられたものだったのだ。

社内の文芸作品コンテストで、従業員の作品を論評する奥野健男(左)と安部公房(右)

社内の文芸作品コンテストで、従業員の作品を論評する奥野健男(左)と安部公房(右)
東芝社内報『東芝ライフ』141号 昭和38年10月

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