宇宙放射線の正体に迫る!JAXAと東芝が生み出した画期的な計測技術
2024/10/21 Toshiba Clip編集部
この記事の要点は...
- 安全な宇宙開発のために必要な宇宙放射線の計測技術
- 何十年も放射線計測の障害だったパイルアップ現象の克服
- 若き技術者たちのひらめきと粘り強さがつかみ取った、革新的な信号復元技術

2024年5月、日本国内でオーロラが観測されるというニュースが駆け巡った。日本のような低緯度でオーロラを観測できた理由は、大規模な太陽フレアに伴って発生した磁気嵐と呼ばれる高エネルギーの「宇宙放射線」の影響だと言われている。地球上では美しいオーロラとなって私たちを楽しませてくれるこの「宇宙放射線」だが、宇宙空間において、人工衛星や宇宙飛行士に深刻な影響を及ぼすことがある。安全に宇宙開発を進める上で、宇宙放射線をどう克服するかが大きなカギとなるのだが、実はその計測には何十年にもわたって未解決の課題があった。
この難題に挑むべく、宇宙航空分野での基礎研究から開発を手がける「国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)」と、地上での放射線計測において長年の実績を持つ東芝がタッグを組み、研究開発プロジェクトが進んでいる。
宇宙の脅威「宇宙放射線」と戦うための、正確な放射線計測
「宇宙放射線は、ロケットや人工衛星に搭載している電子機器の故障、さらには宇宙飛行士の被ばくといった深刻な問題を引き起こす可能性があります。安全な宇宙開発を実現するためには、宇宙放射線を正確に計測し、その影響を予測・評価することが不可欠です」とJAXAの木本雄吾氏は話す。

しかし、この宇宙放射線の計測が一筋縄では行かない。宇宙放射線と一口に言ってもX線やガンマ線等の電磁波のほか、陽子、中性子、電子、アルファ線、重粒子などの様々な種類の粒子線から構成される。また、その量は、地上からの高度が高まるにつれ大気密度の減少により急激に増加していくのだ。さらに、計測する場所や時間によっても大きく変動するため、正確な計測には高度な技術が求められる。
JAXAは宇宙環境と衛星用部品・材料等の放射線劣化、誤動作、故障との関連を評価・解明するため、1987年に技術試験衛星V型「きく5号」(ETS-V)への放射線計測装置の搭載を皮切りに、長年にわたり観測データの解析を通じて宇宙放射線の計測技術の向上に取り組み、多大な成果を上げてきた。しかし、宇宙放射線計測には、世界中の科学者たちを長年悩ませてきた大きな問題があった。
「パイルアップという現象の発生によって、正確な放射線計測ができないことがあります」と語るのはJAXAの松本晴久氏だ。

放射線検出器において、複数の放射線がほぼ同時に検出器に入射した際に、それらの信号が重なり合うことで個々の放射線のエネルギーや数を正確に測定できなくなる、この現象が[パイルアップ]と呼ばれているのだという。
これは、海上で異なる方向からの複数の波が重なり合うことで、時に船舶を転覆させるほどの高波となる「三角波」と呼ばれる現象や、大きな音によって小さな音が聞こえづらくなる「マスキング効果」に似ているという。

パイルアップは従来から放射線計測の障害として技術者たちの前に立ちはだかってきた。その間、何十年にもわたり、パイルアップの影響を補正するためのさまざまな技術が開発されてきたのだ。
これまで主なパイルアップ対策として、次の二つの方法が検討されてきた。一つ目は、パイルアップの発生確率を統計的に見積もり、測定結果を補正する「統計的補正」。しかし、この方法では、パイルアップの発生頻度が高まるにつれ補正精度が低下するという問題があった。二つ目は、計測値のどの部分でパイルアップが起きているかを判別し、その部分を除去して正確な計測値のみを取り出す「パイルアップ除去」だ。
しかし、松本氏はこの方法の問題点を指摘する。「計測データのどの部分でパイルアップが発生しているのか判別できるようになりましたが、計測装置の性能(検出効率、エネルギー範囲等)を向上させるとパイルアップが発生する箇所も増えてしまうのです。だから、パイルアップの箇所を取り除いていくと、ほとんど有効なデータが残らないということになってくるのです」
民間企業との技術協力に活路を求めて
JAXAは、パイルアップ問題の解決方法の一つとして、民間企業への技術協力を検討した。そんな中、ある東芝出身のJAXA職員からの「東芝の放射線計測技術が解決方法になるかもしれない」という言葉をきっかけに、東芝との共同研究が始まる。
原子力発電に関する技術をはじめ、東芝には長年にわたり積み重ねてきた多くの放射線計測技術と知見があった。しかし、それらがすぐに宇宙開発に転用できたわけではなかったという。
東芝エネルギーシステムズで研究所向けの放射線モニターや核燃料の再処理案件を担当してきた矢澤博之氏は「原子力発電所では、様々な種類の放射線を広範囲な強度で計測する必要があります。この経験が、宇宙放射線計測にも活かせると考えていました。しかし、パイルアップ現象を補正し、正しい値を測定するという課題は非常に難題でした。我々が持っていた既存の技術をそのまま適用すれば解決というような簡単なことではありませんでした」と語る。

原子力計装システム設計グループ 矢澤 博之氏
地上と宇宙という、大きく条件の異なる環境というのも課題の一つだったという。
「例えば計測機に使用できる電力も、地上では必要なだけ使うことができますが、宇宙では非常に大きな制約が課せられますし、計測器が設置される環境も厳しいものを想定しなければならないのです」と、矢澤氏は宇宙空間特有の技術課題について語った。
突破口、それは「信号の復元」
試行錯誤を繰り返す中、東芝の技術者たちは、パイルアップ現象を単に除去するのではなく、重なり合った信号から元の信号を復元するという、全く新しいアプローチを考案した。この発想の転換が、パイルアップ現象克服への突破口となった。
「信号復元の鍵を握るのは、信号のタイミングでした。東芝が持つデジタル信号処理技術を駆使し、信号の発生時間を高精度に計測することで、重なり合った信号を一つ一つ分離し、元の信号を復元する技術を開発しました」と説明するのは、東芝エネルギーシステムズで10年以上原子力発電所やその関連施設で使われる放射線計測装置の開発をしている伊藤大二郎氏だ。
それは、2種類のセンサーを組み合わせ、それぞれのデータを高度なデジタル信号処理技術で解析することで、パイルアップによって重なってしまった信号を分離し、元の信号を復元する技術である。

原子力システム計装設計グループ 伊藤 大二郎氏
伊藤氏によれば、パイルアップした信号の復元は、高度な数学的処理によって実現されるのだという。まず、放射線信号の平均的な波形をテンプレート化したものを用意する。パイルアップが生じたときは、このテンプレートと信号の時間間隔とを用いて、ある信号がほかの信号にどれだけ影響したか推定する。次に、この推定をもとに複数の信号の線形結合として観測した信号を表現することによって、定式化をおこなう。そして、この連立方程式系を解くことで、個々の信号を重なる前の状態に復元するのだ。この過程では、線形方程式系の近似解法である反復法という高度な数学的手法が活用されているという。
5年越しの挑戦、そして成果
JAXAと東芝の共同研究は、5年以上にわたり続けられた。その間、幾度となく困難に直面したが、両者の技術者たちは、互いの知見を共有し、協力し合うことで、一つ一つ課題を克服していった。そしてついに、パイルアップ現象を克服し、高精度な放射線計測を可能にする技術を確立した。JAXAと東芝が開発したパイルアップ補正技術は、宇宙放射線計測の精度を飛躍的に向上させ、宇宙開発の安全性を高めるだけでなく、宇宙機の軽量化や長寿命化にも貢献するという。これは、宇宙開発の未来を大きく前進させる革新的な技術と言えるだろう。この成果は、JAXAと東芝エネルギーシステムズとの共同特許として出願されている。
本研究は最終的な性能確認の段階にあり、良好な結果が得られれば搭載へ向けて踏み出すことができる。今回開発した技術を搭載した計測器を「いつかは宇宙に打ち上げたい」、と木本氏は話す。伊藤氏と矢澤氏の二人は、ロケットが発射される時には家族や友人に自慢したいと嬉しそうに語った。
この技術がさらに発展し、人類の宇宙への挑戦を支える日はそう遠くないのかもしれない。そう考えると、未来の宇宙開発を担う若いエンジニアたちにとっても大きな希望となるだろう。