ナノ世界から医療を支える ― 電池から始まった極細繊維の可能性
2021/07/09 Toshiba Clip編集部
この記事の要点は...
- 電池から精密医療まで、ナノファイバーシートは幅広く展開!?
- エレクトロ・スピニング技術を活用し、極薄のコラーゲンシートを開発!
- 生体内環境を再現するコラーゲンシートが、次世代の医療に貢献
ナノテクノロジーとは、1nm(ナノメートル)=10億分の1m(メートル)の世界でのモノづくりを支える先端技術だ。近年、注目が集まっているのがナノファイバー(ナノサイズの極細繊維)。フィルターや細胞培養の基材、バイオセンサーなどへの応用が期待されている。数あるナノファイバー形成技術の中で、東芝が取り組んでいるのが、電気の力でナノファイバーを形成するエレクトロ・スピニング法(ES法)※1。東芝のリチウムイオン二次電池SCiB™の次世代型に対して、正極と負極を隔てる絶縁性セパレーターとして適用を目指している。
※1 紡糸ノズル内の溶液に高電圧を加えることで、数nmのナノファイバーを生成する
さらに医療分野では、「生体内環境を再現するコラーゲンシート」というコンセプトで、次世代医療への貢献が期待されている。このコラーゲンシートが実現する次世代のがん診断デバイスや、再生医療材料の可能性とは何か?プロジェクトを主導する東芝 生産技術センターの徳野氏、内田氏に先端技術の一端を解説していただこう。
株式会社東芝 生産技術センター 製造プロセス・検査技術領域 材料・デバイスプロセス技術研究部
スペシャリスト 徳野 陽子氏 スペシャリスト 内田 健哉氏
電池から精密医療まで、ナノ世界への挑戦
ナノファイバーシートとは、ナノスケールの極細繊維(ナノファイバー)を積み重ねてシート状にしたものだ。多様な形成技術が模索されているが、東芝が開発しているES法は、シート材料の選択において自由度が広いという大きな特徴がある。内田氏によると、この自由度があるから「ナノファイバーシートにいろいろな機能をプラスでき、社会が必要とする様々な製品への展開が可能になる」という。
ナノファイバーに使用する材料によって、薄膜、多孔質など様々な特徴を実現し、電池や医療材料へ展開可能
※SCiB™:リチウムイオン二次電池
「ナノファイバーシートは、反対側が透けて見えるほど極薄の膜です。ファイバ―の直径やシートの厚さを極限まで小さくでき、イオンなどの物質を通しやすくする特長によって、リチウムイオン二次電池SCiB™の高出力化に大きなメリットをもたらします。さらに、凹凸がつけられ、何かの形を模擬できるという特徴から、精密医療への展開も視野に入ります」(内田氏)
「私たち、東芝 生産技術センターは半導体の技術開発を長年手がけており、成膜技術や微細構造の制御・分析技術の開発に優位性があります。そこに、ES法に使用する材料としてコラーゲンをマッチングさせ、生体内環境を再現するコラーゲン・ナノファイバーシート(以下、コラーゲンシート)を開発しました。これは、東芝が医療分野に携わってきたことによる自然な発想で、今、医療現場への応用を目指しています」(内田氏)
前述のように、ES法は材料に高電圧をかけてナノファイバーを形成し、シート状にする技術だ。熱を使わず常温で加工でき、熱で劣化してしまうコラーゲンの加工に適している。徳野氏、内田氏の開発チームは、医療の現場で応用しやすいようコラーゲンシートの強度を高めたり、イメージセンサーと一体化させたり、より使い勝手をよくし、医療に貢献するために技術を磨いてきた。
極薄のコラーゲンシートが、精密医療を変える
コラーゲンシートの開発を進めた結果、現在「がん診断デバイス」「再生医療における医療材料」という2つの方向性が見えている。「がん診断デバイス」は、表面が凹凸形状で、薄く透明なコラーゲンシートをイメージセンサーと組み合わせたもの。これは、患者さんから取り出される細胞を観察し、がんを診断する時に、細胞を固定する足場としてコラーゲンシートを活用する。顕微観察の技術を得意とするIDDK社(東芝のスピンオフ医療ベンチャー)のイメージセンサーと、凹凸状コラーゲンシートを組み合わせることで、がん細胞を生きたまま観察できるようになる。この取り組みの発端は、徳野氏が、東芝 研究開発センターのバイオ技術開発のグループと技術者どうしで議論を重ねていたことだ。
イメージセンサー上のコラーゲンシートにより、がん細胞を生きたまま観察できる
「コラーゲンシートを活用することで、これまでイメージセンサー上での培養が困難だった乳がん細胞を80%以上という高い生着率で培養し、観察できるようになりました。今、乳がんの患者さんから取り出した細胞への応用を目指しています。これが実現すれば、これまで見えなかった、生きているがん細胞の特性に基づいた診断が可能になるので、治療の向上や副作用の軽減に貢献できると思います」(徳野氏)
次に、「再生医療における医療材料」は、3次元構造のコラーゲンシート。上述のがん診断と同様に、再生医療でも「足場」が重要になる。移植細胞を機能させたり、細胞組織を構造化させたりするために、足場は必須の医療材料なのだ。そこで、体内における足場として白羽の矢が立ったのがコラーゲンである。ここで使われるコラーゲンシートは、コラーゲンの繊維を一方向に並べ、縦横交互に織り重ねて3次元的に構成したもの。生体組織の構造を模しており、体内での親和性が高い。そのため、そこに細胞を移植しても、拒絶反応による炎症を起こしにくいのがメリットだ。
高強度で、体内での炎症抑制が期待されるコラーゲンシート
「3次元的な構造は部分的にからみ合ったり、接したりして形成されるものです。そのため、ナノファイバーが配列(配向)した構造をベースとすると、からみ合いが減ります。そうすると、どうしても強度は低くなりがちで、水を含んだり、引っ張られたりすると簡単に形が崩れてしまうのです。繊維が強固にくっついていなければ、医療材料としては安定して使えません。かといって、熱や薬液で補強するとコラーゲンは劣化してしまいます。強度を高めるためのブレイクスルーが求められていました」(徳野氏)
チームは試作を重ね、毛管力(毛細管現象として知られる力)でナノファイバーを密着させる技術を開発した。毛管力とは狭い空間にある液体に働く力で、物体同士を引き寄せる方向に作用する。まず、ファイバーを一方向に並べ、シートをアルコールなどに浸ける。そうすると、揮発する際に毛管力が働いてナノファイバーが強く密着し合うのだ。このプロセスを経ることでコラーゲンシートの強度は実に300 倍以上になり、弾力のあるしなやかな特性が得られた。
水を含んでもシート形状を維持し続ける、再生医療における医療材料としてのコラーゲンシート
物質医工学の専門家も認めた技術を磨き、次代を展望する
現在、徳野氏らは東京医科歯科大学の岸田研究室と連携し、開発を進めている。医療の最前線で生体材料を研究する第一人者らも、東芝のコラーゲンシートの可能性に目を見張った。既存材料より炎症が抑えられ、体内で速やかに消失する特性が実験で確認されたからだ。
「共同研究を通して感じ続けているのは、コラーゲンシートは物質として面白い、興味の尽きない対象だということです。また、東芝チームのコラーゲンの重ね方は独創的で、安易に答えを出そうとしない粘り強さが、良い結果につながりました」(東京医科歯科大学 木村剛准教授)
東京医科歯科大学 生体材料工学研究所 生体機能修復研究部門 物資医工学分野 准教授 木村 剛氏
「思ったより早く、生体組織に近いものができた印象です。また再生医療という医療ニーズはもちろん、その特性から別の分野への応用も期待できます。学会発表や異分野とのクロスオーバーを通し、材料を主体とする新たな医療提案が視野に入るでしょう」(東京医科歯科大学 岸田晶夫教授)
東京医科歯科大学 生体材料工学研究所 生体機能修復研究部門 物資医工学分野 教授 岸田 晶夫氏
最前線で研究を重ねる医工学の専門家にも認められる徳野氏、内田氏は、ES法を生んだ開発土壌を存分に活かし、技術の優位性を磨き続ける。今後は利用シーンにそった機能検証を進めつつ、学会発表によって広く情報を発信し、様々な医療関係者ともコミュニケーションを深め、実用化を目指していく。
「東京医科歯科大学の岸田先生、木村先生とのパートナーシップは、私たちの研究を加速させてくれるものです。また、東芝の研究開発センターにも医療ソリューションに特化したチームがおり、心強い存在です。東芝グループ内に積み重なってきた知見、技術などの資産を生かし、コラーゲンシートの完成度を高め、社会実装につなげていきます」(徳野氏)
※本取材・撮影は、感染対策を実施の上で実施しました