ここにも出雲大社の神様が! 人気商業施設との意外な関係

2018/06/27 Toshiba Clip編集部

この記事の要点は...

  • ラゾーナ川崎プラザの屋上で出雲大社の神様に会える!
  • 日本で初めて国産電球を作ったのは東芝の藤岡市助
  • ラゾーナ出雲神社と東芝の電球工場との意外なかかわり
ここにも出雲大社の神様が! 人気商業施設との意外な関係

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
日本最古の和歌とも言われ、須佐之男命(スサノオノミコト)が妻の櫛名田比売(クシナダヒメ)と住む新居を選んだ際に詠んだとされる、古事記の歌にある島根県出雲の地。

 

そこにあるのは、遠い昔、国づくりを成し遂げた大国主命(オオクニヌシノミコト)が鎮座する出雲大社。八百万の神々が活躍する神話の舞台である出雲大社は、現代では“縁結びの神社”として人々に広く慕われ、人気のパワースポットにもなっている。

 

日本の道路原標である東京都日本橋から島根県の出雲大社まで直線距離で約643kmあるが、首都圏にお住いの方は、この長距離を移動しなくても、神奈川県川崎市にある商業施設ラゾーナ川崎プラザに足を運べば、大国主命を祀っている「ラゾーナ出雲神社」にお参りすることができるのだ。

ラゾーナ出雲神社

ラゾーナ出雲神社

出雲大社の神様が、なぜラゾーナ川崎プラザに祀られているのか。
その答えを求めて、電球が普及し始めた明治の時代まで遡ってみよう。

 

日本で初めて照明用電灯が灯されたのは、140年前の1878年。後に東芝の創業者の一人となる藤岡市助が、工部大学校(後の東京大学)教師エアトンの指導の下、同校の大ホールでアーク灯を灯して関係者を驚かせた。

 

その後、白熱電球の普及が進んだが、肝心の電球は海外製に依存していたため、藤岡市助は1890年に白熱舎(後に芝浦製作所と合併し東芝となる)を設立、初の国産電球を完成させた。白熱舎は安価な海外製の電球に押されつつも、1905年には米国ゼネラル電気会社(現在のGE社)と提携を行うなど、順次増産に向け体制を整えている。

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東京銀座通電氣燈建設之圖 / 野沢定吉 画(早稲田大学図書館所蔵)
1882年、銀座で初めてアーク灯が灯され、「一にお天道様、二にお月さま、三に銀座のアーク灯」と謳われた

日露戦争の講和条約締結後は、戦勝景気で電灯事業も活況を呈し、電球の注文が殺到。三田の本社工場は手狭であったため、製造設備の拡張のため工場を新設することになった。

 

新工場用地として、神奈川県橘樹郡の土地約2万8千坪を購入。当時は見渡す限り畑と沼地が広がっていたが、国鉄川崎駅に隣接して陸運の便が良く、また、東には六郷川(現在の多摩川)があり河水の利用に恵まれた、理想的な土地であった。

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1908年頃の国鉄川崎駅と新工場付近の様子

1908年頃の国鉄川崎駅と新工場付近の様子

そして、電球製造の黄金時代が到来

1908年に新工場が竣工し、電球用ソケットの製造を開始。当時はソケットなどの部品を輸入し組立加工して電球器具を製作していたが、これを自製するためにまずソケット工場を稼働させ、その2年後からタングステン電球の製造を本格的に開始した。

 

この電球は、後に、ゾロアスター教の光の神アウラ・マツダの名をとって「マツダランプ」と改称され、大ヒット商品となる。

電球の最初の雑誌広告と後年のマツダランプの広告

電球の最初の雑誌広告と後年のマツダランプの広告

全てが順調に進むかに見えたが、1910年の大暴風雨で六郷川が氾濫し、工場の製品・機械などが全て浸水してしまう。

 

二度と同じ惨劇を繰り返さぬよう、また、何かあれば川崎市民の避難所になるようにと、神奈川県橘樹郡の糟山を買い取り、鉄道を敷いて山の土砂を運搬し、工場敷地に約4メートルの盛土を行った。

鉄道で土砂を運搬した盛土の様子。大工事であった

鉄道で土砂を運搬した盛土の様子。大工事であった

この後再建された川崎工場は、当時としては最新式の自動消火装置スプリンクラー・ドレンチェアーを備え、水洗式の手洗いに汚染浄化装置を設置し、冬はラジエーターで暖風を、夏は外気を取り入れ場内の換気を行うなど、最新鋭の設備で快適な職場環境を提供した。他にも青年学校や図書館、人事相談所や授乳所なども有し、当時としては東洋に誇る模範的大工場となり、東芝の成長の礎となった。

 

この工場を見守ってきたのが、出雲神社なのである。

 

この川崎工場に分祀されたのが、今のラゾーナ川崎プラザにある「ラゾーナ出雲神社」である。
1916年頃に行われた分祀の詳しい経緯は不明だが、ご祭神が国づくりを成し遂げた大国主命であり、人と人とが共に栄えていくご縁のご利益があるとされることから、新工場建設の際に安全と、ますますの社業発展の願いを込めて祀られたと推測される。

工場内の出雲神社の写真(1929年頃撮影)

工場内の出雲神社の写真(1929年頃撮影)

1908年の操業開始以降、東芝の主力工場として、電球・蛍光ランプ・受信管・X線管ブラウン管・半導体など様々な新製品、新技術を世の中に送り出してきた。時代の流れと共にそのありかたを変えてきた工場はその役割を終え、2006年、この土地にラゾーナ川崎プラザが建ち、工場内にあった出雲神社が同プラザ4階に移設されたのである。

ラゾーナ出雲神社のプレート

ラゾーナ出雲神社のプレート

現在ではこのラゾーナ川崎プラザに隣接して、2013年に開所された東芝の「スマートコミュニティーセンター」(2014年にグッドデザイン賞を受賞)があり、その2階には「東芝未来科学館」が入っている。

 

東芝未来科学館では、様々な先進技術で人々の暮らしを変えてきた東芝のあゆみを振り返ることができるヒストリーゾーンや、実験やワークショップを通じて子ども達が科学技術を楽しく学ぶことができるサイエンスゾーン、そして夢に描いた未来を体験するフューチャーゾーンなど、驚きと感動でいっぱいの展示が用意されている。

東芝未来科学館が入っているスマートコミュニティセンター

東芝未来科学館が入っているスマートコミュニティセンター

長年東芝の工場の守り神とされていた大国主大神が、今は川崎の人々の安全を見守り続けているのだ。

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