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ここにも出雲大社の神様が! 人気商業施設との意外な関係


ここにも出雲大社の神様が! 人気商業施設との意外な関係

この記事の要点は…

ラゾーナ川崎プラザの屋上で出雲大社の神様に会える!

日本で初めて国産電球を作ったのは東芝の藤岡市助

ラゾーナ出雲神社と東芝の電球工場との意外なかかわり

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
日本最古の和歌とも言われ、須佐之男命(スサノオノミコト)が妻の櫛名田比売(クシナダヒメ)と住む新居を選んだ際に詠んだとされる、古事記の歌にある島根県出雲の地。

そこにあるのは、遠い昔、国づくりを成し遂げた大国主命(オオクニヌシノミコト)が鎮座する出雲大社。八百万の神々が活躍する神話の舞台である出雲大社は、現代では“縁結びの神社”として人々に広く慕われ、人気のパワースポットにもなっている。

日本の道路原標である東京都日本橋から島根県の出雲大社まで直線距離で約643kmあるが、首都圏にお住いの方は、この長距離を移動しなくても、神奈川県川崎市にある商業施設ラゾーナ川崎プラザに足を運べば、大国主命を祀っている「ラゾーナ出雲神社」にお参りすることができるのだ。

ラゾーナ出雲神社

ラゾーナ出雲神社

出雲大社の神様が、なぜラゾーナ川崎プラザに祀られているのか。
その答えを求めて、電球が普及し始めた明治の時代まで遡ってみよう。

日本で初めて照明用電灯が灯されたのは、140年前の1878年。後に東芝の創業者の一人となる藤岡市助が、工部大学校(後の東京大学)教師エアトンの指導の下、同校の大ホールでアーク灯を灯して関係者を驚かせた。

その後、白熱電球の普及が進んだが、肝心の電球は海外製に依存していたため、藤岡市助は1890年に白熱舎(後に芝浦製作所と合併し東芝となる)を設立、初の国産電球を完成させた。白熱舎は安価な海外製の電球に押されつつも、1905年には米国ゼネラル電気会社(現在のGE社)と提携を行うなど、順次増産に向け体制を整えている。

東京銀座通電氣燈建設之圖 / 野沢定吉 画 1882年、銀座で初めてアーク灯が灯され、「一にお天道様、二にお月さま、三に銀座のアーク灯」と謳われた

東京銀座通電氣燈建設之圖 / 野沢定吉 画(早稲田大学図書館所蔵)
1882年、銀座で初めてアーク灯が灯され、「一にお天道様、二にお月さま、三に銀座のアーク灯」と謳われた

日露戦争の講和条約締結後は、戦勝景気で電灯事業も活況を呈し、電球の注文が殺到。三田の本社工場は手狭であったため、製造設備の拡張のため工場を新設することになった。

新工場用地として、神奈川県橘樹郡の土地約2万8千坪を購入。当時は見渡す限り畑と沼地が広がっていたが、国鉄川崎駅に隣接して陸運の便が良く、また、東には六郷川(現在の多摩川)があり河水の利用に恵まれた、理想的な土地であった。

1908年頃の国鉄川崎駅と新工場付近の様子
1908年頃の国鉄川崎駅と新工場付近の様子

1908年頃の国鉄川崎駅と新工場付近の様子

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