多様な力が未来をつくる――首席技監が見据える、技術と人の可能性とは

2025/12/15 Toshiba Clip編集部

この記事の要点は...

  • 原子力分野を通じて、「技術を社会に還元する」という研究者の使命を追求してきた
  • 多様な人と技術が協働する未来を見据え、次世代技術者の育成とエネルギーの新しいかたちづくりに取り組む
  • 企業や研究者の枠を超えた経験が技術者としての成長につながる
多様な力が未来をつくる――首席技監が見据える、技術と人の可能性とは

カーボンニュートラルの実現に向けて、エネルギーのあり方が大きく転換期を迎えている。再生可能エネルギーの普及が進む一方で、安定供給と安全性の両立、さらには人材の多様化が求められている。東芝はこれまで150年にわたり、社会インフラやエネルギー技術の進化を通じて時代の課題に応えてきた。その最前線で研究開発をけん引するのが、東芝総合研究所の首席技監であり、日本機械学会の会長を務める岩城智香子氏だ。原子力・機械分野で培った知見を基に、エネルギーのグランドデザインを描くとともに、次世代を担う技術者育成や多様性推進にも力を注ぐ。岩城氏が見据える、未来のエネルギーのあり方と、それを支える技術者の姿とは。

「流れ」に魅せられ、研究室の門を叩く

加熱されるケトル内で、水と水蒸気が入り混じって激しく沸騰し、水蒸気が勢いよく吹き出していく――。ごく身近な現象の中に、岩城氏が長年追い続ける「二相流(にそうりゅう)」の世界がある。

「二相流とは、異なる二つの“相”――例えば液体と気体が混じり合い、姿を変えながら流れる現象のことです。二つの相の間では、さまざまな熱と運動量のやり取りが起きていて、その挙動は非常に複雑です。いまだ完全には解明されていません

だからこそ面白いんです。新しい計測技術を使って実験データの取得方法を工夫したり、物理を考えてモデルを開発したり、シミュレーションと組み合わせながら正確に現象を再現する。その一つひとつに、技術者の創意があります

熱を込めて語る岩城氏。技術者のキャリアを重ねる中で、原子力発電の沸騰水型原子炉に関する技術開発に携わってきた。原子炉では燃料の周囲を流れる冷却水が核分裂の熱を受けて沸騰し、水と蒸気が入り混じる。この「沸騰しながら流れる状態」こそが二相流であり、原子炉の設計に欠かせない要素だ。

株式会社東芝 総合研究所 岩城智香子氏
株式会社東芝 総合研究所 岩城智香子氏

岩城氏が二相流に出会ったのは、大学で研究室を選んだときのこと。もともと流体の研究に興味があり、「流れを数式で表現できる」理論の美しさに惹かれたという。

「複数の相が混じり合う流れはとても複雑ですが、そこには確かな秩序がある。その絶妙なバランスに魅了されました。研究を進めるうちに、原子炉燃料の周りで起こる現象が、二相流研究の中でも最も体系的かつ精緻に解析されていることを知りました。

原子力の安全性に直結する領域だからこそ、高い信頼性と精度が要求される。数値の裏には社会の安全がかかっています。二相流を究めることが、安全性の向上や電力の安定供給につながるのだと実感した瞬間でした」

大学院でさらに研究を深めようとも考えていた矢先、東芝の研究所から声がかかった。学生時代に学会へ参加した際、東芝の研究者たちが生き生きと研究成果を発表する姿が印象に残っていたという岩城氏。「研究を通じて社会を動かす」――リアルな技術者像に強く共鳴し、東芝でキャリアを築く決意をした。

配属されたのは、福島第一原子力発電所の停止を受けて原因究明にあたる機器開発チーム。現場に近いプロジェクトからのスタートだった。

「想定していたかたちとは少し違っても、事業に貢献しながら自分の研究テーマにも取り組める環境が整っていました。研究と社会の双方を行き来できる――そんな環境に身を置けたのは、本当に恵まれていたと思います」

「一人前の技術者」を目指し、挑戦と探究が始まる

「当時、私たちは福島の原子力発電所が停止した原因を突き止めるため、推定と検証を繰り返していました。実際のプラントで使用される大型ポンプを長時間運転し、事象が再現されるかどうかを確かめる。現場の技術者、設計部門、研究者が一丸となって仮説を立て、検証を重ね、結果を共有して次の手を考える。

一人の力では到底たどり着けない課題を、チームとして乗り越えていく。この“現場でのチーム力”こそ、研究開発におけるチームワークに通じるものがあると感じます。それぞれが専門性を持ち寄り、課題に対して最適な解を導く。分野は違っても、ゴールに向かって知恵を結集する姿勢は変わりません」

原因究明と機器異常診断システムの開発に携わった経験が技術者の原点になっている、と岩城氏は振り返る。そして次に取り組んだのは、故障を未然に防ぐ予防保全技術の開発だった。

「異常を診断するためには、機器の物理モデルを構築し、シミュレーションで挙動を予測する必要があります。今では一般的な手法ですが、当時は先進的な取り組みでした。原子力の分野には、常に新しい技術を取り入れて挑戦する風土があったんです」

岩城氏

こうした経験を経て、岩城氏は「研究とは現象をモデル化し、理解を社会に還元する営みだ」と実感する。そして、技術者としてさらに高みを目指すため、30代で博士課程への挑戦を決意した。

「当時は、社会人が大学院で研究を続けるための仕組みが今ほど整っていませんでした。平日はフルタイムで仕事にあたり、週末は大学で研究を進める。休む間もない3年間でしたが、途中で辞めようと思ったことは一度もありません。好きなことをやっている――その思いだけで続けられたと思います。

博士課程では、自ら研究テーマを立ち上げ課題設定し、仮説を立て実験・解析で検証し、論文にまとめるまでを一貫して行います。そのプロセスを一通り自分でやり遂げられたことが、大きな自信になりました」

一つひとつの挑戦を通じて、岩城氏は着実に技術者としての歩みを重ねていった。その中で見えてきた、理想の技術者像がある。

自分の力で研究テーマを立ち上げ、社会実装まで責任をもってやり遂げる。そして、研究成果が学術的にも認められ、科学の発展に貢献できる。この両方を満たせてこそ、一人前の技術者だと考えています。

そして、現場の経験を振り返り、もう一つ大切なことを強く感じています。一つの機器を開発する際も、それがシステム全体の中でどのように使われ、社会にどんな影響を及ぼすのかまで見据えること。広い視点を持ち、俯瞰的に物事をとらえる姿勢も、技術者には欠かせないものです

開発に向き合うエネルギーの世界は、常に新しい課題が生まれる領域だ。カーボンニュートラルに向けてエネルギーシステムが変革の時を迎えている今、岩城氏自身も「挑戦はこれからも続く」と視線を前に向ける。

岩城氏

エネルギーの未来と多様な視点――社会とともに進化する技術

エネルギーの世界に目を向けると、脱炭素化の潮流の中で再生可能エネルギーが拡大し、電力の需給バランスをいかに保つかが新たな課題だ。岩城氏は、原子力だけでなく、蓄熱発電や分散型電源といった新たなキーワードから、エネルギーの将来像を描く。

注目する次世代技術のひとつが「超小型炉」だ。従来のように大規模な発電所を一極集中で建設するのではなく、工場で製造した小型炉を必要な地域に設置し、電気や熱を供給する。地域分散型の電源として、データセンターや産業拠点の安定電源にも活用が期待されている。「安全性が高く、設置や運用も柔軟にできる――まさに新しい原子力のかたちです」と岩城氏は語る。

超小型炉の利用イメージ
超小型炉の利用イメージ

もうひとつの注目技術が「岩石蓄熱発電」だ。再生可能エネルギーの導入が進む一方で、太陽光や風力の出力変動をどう平準化するかが課題になる。

「昼間の余剰電力を熱として岩石に蓄え、夜間に取り出して使う。エネルギーを貯めて使う仕組みは、再生可能エネルギーを社会インフラとして定着させるために欠かせません。ヨーロッパでは実証が進んでおり、日本でも早期の社会実装が求められています」

蓄熱発電の構成例
蓄熱発電の構成例

このようにエネルギーの未来を展望していくなかで、岩城氏が何より大切にしているのは「多様性の視点」だ。

「エネルギーシステムは、あらゆる技術の集積です。原子力、再生可能エネルギー、蓄電・蓄熱、電力制御、情報通信――多様な技術者が力を合わせて初めて機能します。だからこそ、異なる分野の人と議論し、視点をぶつけ合うことが重要です。多様なバックグラウンドを持つ人たちが協力することで、新しい発想や解決策が生まれていくでしょう」

岩城氏のまなざしは、若手や次世代を担う技術者にも向けられている。原子力や機械工学の分野では、特に女性比率が低いことが長年の課題だ。会長を務める日本機械学会では女性会員は5%程度。しかし、少しずつ変化の兆しが見え始めている。

「海外の原子力関連機関では、ジェンダーバランスを非常に重視しています。女性リーダーの育成を支援する基金を設けたり、政府が教育支援を行ったり。そうした動きに触発され、日本でも少しずつ意識が変わりつつあります。原子力は非常に多様な分野の技術が関わる総合科学ですから、物理、化学、機械、電気、計測制御と、どんな専門でも活躍できる場があります。だからこそ、若い世代、特に女性にももっと関心を持ってほしい

日本機械学会の会長として、積極的な情報発信に取り組むのも、たとえば「機械工学は力仕事」といった古いイメージをアップデートし、デジタルと融合した新しい機械工学の姿を発信していくためだ。

「今の機械工学は、シミュレーションやAIを駆使した先端的な研究が活発です。中高生や保護者に、さまざまな機械工学の姿を伝える活動を強化しています。出前授業や理科教室を展開したり、SNSで女性技術者の活躍を発信したり。自分もここで活躍できる、そんな実感を持ってもらうことが大切です」

エネルギー技術の進化も、技術者の育成も、どちらも「多様性」をキーワードに動き出している。異なる専門分野、異なる価値観を持つ人々が協働し、共に未来を描いていく。それは、岩城氏が自身の研究人生を通して体現してきた姿勢そのものだ。

「エネルギーの未来をデザインすること。それは、技術だけでなく、人や社会のあり方を考えることでもあります。これからも多くの、そして新たな仲間とともに、新しいエネルギーのかたちを創っていきたいですね」

岩城氏

技術を超えて、好奇心と探求心が未来を拓く

東芝の首席技監として、そして日本機械学会の会長として、岩城氏は若い研究者や学生たちの育成に力を注ぐ。また、カーボンニュートラルの実現に向けてエネルギーシステムが変革期を迎えるなかで、わが国がどのようなグランドデザインを描くべきか。その議論を企業や大学、行政とともに進めていくことが、自身の次の使命だと語った。

「エネルギーは技術に加えて経済、社会、環境――あらゆる側面を含めて考える必要があります。企業単独だけではなく、学会、行政、研究機関と議論を重ねながら、日本らしいカーボンニュートラルのあり方を一緒に描いていきたいですね」

一方で、岩城氏が強く意識しているのが「社外とのつながり」だ。社会人として働きながら博士課程で研究を続けた経験を持ち、プライベートでも探究心は尽きない。スポーツではテニスやスキューバダイビングを楽しみ、長年続けているピアノは心のよりどころ。そして、旅にも情熱を燃やす。世界中の文化や人々に触れ、仕事にも通じる新たな気づきを得てきたという。

「行き詰まったとき、ピアノを弾くと気持ちが整理されます。旅の魅力は多様性という言葉を実感できることですね」と微笑む。こうした経験を通して生まれた若い世代へのメッセージには、確かな力がこもる。

若い技術者の方には、若いうちから外に出て、さまざまな人と出会ってほしい。社外の研究者や異業種の方とのネットワークは、自分の発想を広げてくれる視点になります。積極的に人と関わることが、技術者としての成長にも、社会を動かす力にもつながっていくはずです

挑戦を重ねてきたなかで、広い視野で未来を見つめる。技術と人材、そして社会の未来を見据える語り口には、静かな情熱がにじむ。

「研究を続けていると、思うようにいかないこともあります。それでも前に進もうと思えるのは、やはり責任感です。原子力は社会の安全と信頼に直結する分野です。ここで諦めてしまえば、電力の安定供給も次の世代につながらない。エネルギーは、すべての人の生活を支える基盤です。だからこそ、組織や職種の枠を超えて、みんなで守り、みんなでより良くしていくという姿勢が欠かせないのです

岩城氏

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