デジタル社会の未来を守る量子暗号通信:離れた生産施設間で機密データを安全に転送

2021/04/23 Toshiba Clip編集部

この記事の要点は...

  • 量子暗号通信(QKD)とは?この技術が社会から求められる理由
  • QKDの多重化方式―実用化のカギとなる技術
  • 英国初となるQKDの実証実験に成功した立役者たち
デジタル社会の未来を守る量子暗号通信:離れた生産施設間で機密データを安全に転送

すべての新興技術がそうであるように、ある技術が研究段階から実用化されるまでには、数多くの重要なマイルストーンを達成する必要がある。その中でも、ビジネスパートナーと行う実環境下での実証実験は、実用化を見据えた将来像を探る重要なフェーズである。東芝は、2020年10月に英国初となる実際のネットワークでの量子暗号通信(Quantum Key Distribution: QKD)の実証実験を行い、機密データを安全に転送することに成功した。

 

ここでは、今なぜQKDが必要とされているのかを説明し、東芝のQKD技術について、実用化の準備が整ったこと、英国初となった実証実験の内容について紹介する。

なぜ、量子暗号通信(QKD)が必要なのか?

今日のデジタル経済は、安全で信頼性の高い暗号化技術によって支えられている。一方、暗号化セキュリティへの依存度が計りしれないほど大きく、また当たり前の存在であるがゆえに、過小評価されやすいのが実態だ。RSA公開鍵暗号化などの暗号化システムは、ウェブ、eコマースの情報や、機密性の高い企業や個人の膨大なデータを安全に転送し、保管する上で極めて重要であり、これらの情報インフラのセキュリティ基盤へ当たり前のように活用されている。そして現在、この公開鍵暗号化の安全性が、二つの脅威によって初めて脅かされている。一つは、機密情報を盗むことを企み、資金力もあるサイバー犯罪者集団の存在と、もう一つは、その犯罪者たちが量子コンピューティングの新技術を近く悪用するかもしれないことである。

 

何十年にもわたって安定して活用していた暗号化セキュリティが破られたり、劣化したりする世界は、にわかには信じ難い話のように思えるかもしれない。しかし、今や実際に起こり得ることなのである。長い間、量子コンピューターは、完全に仮説上の装置だった。だが、この20年間に、シンプルな量子ビットベースのシステムが登場して以降、従来のコンピューターでは解読不可能な数学的問題を解くことができる高度なデバイスへと急速な進歩を遂げた。

量子コンピューター技術が急速に発展している

量子コンピューター技術が急速に発展している

現在、5Gモバイル通信やIoT、Machine-to-Machine通信の拡大により、ネットワーク上を移動するデータ量が加速的に増大している。この時代に、悪意と新技術という組み合わせが皮肉にも可能となってしまうのである。シスコ社によると、データ量は、2021年にはモバイル通信だけでも2011年の122倍になり、特に企業が「機密」と分類するデータが増加すると予測されている※1

※1参照元:https://newsroom.cisco.com/press-release-content?articleId=1819296

コミュニケーションデータとネットワークの広がり

量子コンピューターを悪用されることの脅威は、送受信されるデータだけではなく、暗号化形式ですでに保存された膨大なデータにも及ぶ。つまり、暗号化して保存されたデータは今のところは安全だが、「一旦、暗号化形式でデータをダウンロードしておき、量子コンピューターが登場した段階で解読する」という犯罪者の攻撃を阻止する手立てはない。このような可能性への対処は、技術的な課題であるだけでなく、ビジネスや規制の上でも急務である。より安全な暗号化が行われなければ、現在の機密性を担保したコミュニケーションが損なわれ、デジタル取引、さらには経済全体にまで深刻なダメージを与えることになるだろう。

量子暗号通信(QKD)

東芝の量子暗号通信(QKD)の送受信機

東芝の量子暗号通信(QKD)の送受信機

量子暗号は、暗号鍵を配送するQKDによって実現されており、この難局を解決する手段となる。これまでの公開鍵暗号は、従来のコンピューターでは現実的な時間内に解けない複雑な数学アルゴリズムを用いることで、その安全性が成り立っていた。一方、QKDの安全性は、量子力学の基本的法則によって保証されている。

 

QKDでは、光ファイバー上で暗号鍵を光子(光の粒子)に乗せて伝送し、光子が何かに触れると必ず状態が変化するという量子力学的な性質を利用する。これにより、第三者による暗号鍵の盗聴を、確実に検知することが可能となる。

約20年の研究で培った先駆的な技術と圧倒的な知見

東芝はQKDのパイオニアとして、これまで数々の世界初の実証実験を行い、QKDを概念実証から本格的な実用技術へと導いてきた。1990年代初頭にケンブリッジ研究所を設立したのを皮切りに、2000年には技術基盤の重要なコンポーネントである「単一光子検出器の開発」に成功した。2004年には、世界で初めて100kmの光ファイバー接続によるQKDの実証実験を行い、2008年には、20km間を1Mbit/秒で通信する世界記録を達成した。そして現在、東芝のQKDは、10km間で13.7Mbit/秒という記録的な暗号鍵の配信速度を達成しており、通信可能な最大距離は240kmである。さらに、通信の両端から光のパルスを送り、中間点で光子を検出する新技術「ツインフィールド量子鍵配信(Twin-Field QKD)」を使えば、500kmまでの通信が実証されており、都市間の安全な通信が可能になる。2019年に東芝は、EUが資金提供しているOpenQKDプロジェクトに技術パートナーとして参加し、ポズナン、ウィーン、グラーツ、ベルリン、マドリッド、ケンブリッジなどの都市で「QKDテストベッド」を構築した。

東芝のQKDの成果

東芝のQKDの成果

多重化 – QKDの主流化

東芝の数十年にわたる研究開発の末、波長分割多重化方式のQKDが登場したことは、この分野にとって画期的なことである。これにより、現在普及しているデータ伝送用の光ファイバーにQKDを実装することが可能となり、導入コストが大幅に削減されるだけでなく、標準的ネットワークを活用した実用化という視点からも競争力のある技術になった。これまで、QKDは安全な鍵配送を確実に行うための技術でしかなかったが、東芝の波長多重化技術によって、QKDが既存の光ファイバー網でサービスとして提供可能となり、企業など多様な組織で利用可能となった。

 

すなわち、従来のQKDでは、量子鍵の配送用とデータ用に別々の光ファイバーが必要となるため、QKD専用ファイバーの実装によりコストが高くなるという欠点があった。そこで東芝は、波長分割多重化方式を開発し、量子鍵配送にOバンドを使用し、従来データにCバンドを使用することで、同じ光ファイバーを最大70kmにわたって共有し、10dBの損失がある環境において40Kbit/秒を超える鍵配送速度を実現した。

 

ただし、分割多重化されたQKDを現実のネットワークへ適用するためには、特にデータのスループット(転送量)や、ノイズレベルの増加に伴う信号の干渉や損失を補正する技術の大幅な進歩が必要だった。たとえば、従来データで使用されるレーザー信号は、量子鍵配送で使用されるレーザー信号の1000万倍以上の強度と鮮明さを持っている。反対に量子鍵配送の場合は、許容不可能なエラーを発生させずに信号を分離する、独自のフィルタリング技術を開発する必要があった。

 

また、東芝は、ファイバーの温度や物理的な長さのわずかな変動を自動的に監視し補正する安定化技術も採用している。この技術がなければ、わずかな変動によりエラーが発生し、鍵配送のビットレート(一秒間に送受信できるデータ量)が低下する可能性があるからだ。

量子技術に対応した経済社会に移行

英国政府は、投資政策の一環として2020年に国立量子コンピューティングセンター(NQCC)の設立を発表した。この投資は、英国を「量子対応経済」にする計画の一部であり、新しいアルゴリズムやアプリケーションのテスト用に設計された商用量子コンピューター(英国初)への1000万ポンドの提供を含む。同様の投資は、米国や中国など各地で行われており、量子技術の進歩に支えられた経済の実現に向けて、世界が前進していることを示している。

離れた生産施設間で、機密データを安全に転送

東芝は、ブリティッシュテレコム(BT)社との提携により、英国国立複合材料センター(NCC,ブリストル)と、モデリング&シミュレーションセンター(CFMS)の間を通信することで、英国初となる量子暗号通信ネットワークの産業分野への展開を成功裏に導いた。NCCは、英国における世界有数の複合研究開発施設であり、CFMSは新しいデジタルエンジニアリング能力を開拓する非営利研究組織である。

英国国立複合材料センター(NCC)

英国国立複合材料センター(NCC)

英国初となる産業向け量子セキュリティネットワークの展開

NCCとCFMSのネットワークは、セキュリティが最優先事項である主要施設間のデータトラフィックを保護するために、QKDがどのように活用できるかを示している。 つまり、このQKD技術を用いたソリューションがあることで、これまでは機密データを持ち運び可能な格納デバイスに保存し、人が搬送するために、ブリストル北部フィルトンのNCCと、エマーソンズグリーンのCFMS、そしてブリストル大学の間を、人が物理的に移動するという「マニュアル」アプローチが不要になる。その結果、搬送時間を節約しつつ、重要なデータのセキュリティも強化できるのである。データを物理的に搬送する代わりに、7kmの光ファイバーケーブルを使って高速で転送するようになり、暗号鍵も一つのコード化された光子に乗って同時に送信される。

英国QKDプロジェクトの概要図

東芝のQKDシステムは、英国標準のOpenreach光ファイバー網を使用して、毎秒数千個の量子鍵の配送を可能にする。前述のように、その革新的な多重化技術により、データと量子鍵を同一の光ファイバーで配送できるため、量子鍵配送のための高価な光ファイバーなど専用のインフラが不要になる分、大幅なコストダウンが実現できる。

 

同様に、東芝のファイバー安定化技術の恩恵もある。東芝のQKDシステムは、ユーザーに手間を掛けさせることなく、困難な動作条件下でも量子鍵を継続的に配送できる。なぜなら、環境温度の変化によってファイバーの物理的な長さが変化するが、それに対応するためにシステムを調整する必要性がなくなったからである。

Openreachファイバー網を活用した量子鍵の配送

Openreachファイバー網を活用した量子鍵の配送

英国が量子技術に対応した経済社会に移行するにあたり重要なマイルストーン

英国を含め世界各地で、企業は、企業価値を最大化するために、デジタルトランスフォーメーションへ優先的に投資している。このデジタルトランスフォーメーションが急速に発展することで、設計、製造といったサプライチェーンがよりスマートにつながり、より広く分散されるようになる。このとき、機密性の高い設計や製品データを保護するためには、施設間のデータ伝送を保護することが今まで以上に重要となる。 すなわち、分散型サプライチェーンにおいて、より高いレベルの協業、お互いのアクセスが可能となるためには、QKDを活用した安全なデータの通信と共有が不可欠であり、それがIIoT(Industrial Internet of Things)の潜在能力を解き放たつことになる。

QKDを使用してデータを安全に共有することは、ビジネスにおいて必須

NCCのMark Funnell氏

NCCのMark Funnell氏

NCCのデジタル責任者でDigital Engineering Technology and Innovation (DETI)のディレクターであるMarc Funnell氏は次のように述べている。「BTと東芝と協力して、この先駆的な取り組みに参加できたことを嬉しく思います。量子技術は、私たちがデータを保護する方法について、これまでとは考え方を変えるように促しています。極めて安全で信頼性の高い通信は、英国産業のデジタルエンジニアリングの変革を加速させるDETIにとって、重要な成功要因です。今後の計画では、NCCの5Gテストベッド(実際の運用環境に近づけた試験用プラットフォーム)やDETIコンソーシアムのパートナーと統合しながら、その範囲を拡大していく予定です」

 

CFMSのNathan Harper氏

CFMSのNathan Harper氏

CFMSのエンジニアリングコンピューティングサービスの責任者であるNathan Harper氏は、次のように述べている。「このプロジェクトでは、QKDが実世界でどのように使用できるかがわかりました。デジタルエンジニアリングは、様々な産業分野で大きなメリットをもたらしますが、大量のデジタルデータを安全に共有することができなければ、これらを実現することはできません。量子コンピューターは、現在のIT暗号化手法を弱体化させる可能性を秘めていますが、今回のプロジェクトでは、QKDが商用利用可能であり、公共ネットワーク上で機密データを共有し続けられることを示しています」

 

東芝ケンブリッジ研究所のAndrew Shields氏

東芝ケンブリッジ研究所のAndrew Shields氏

英国の東芝ケンブリッジ研究所 量子技術グループの責任者であるAndrew Shields氏は次のように述べている。「NCC、CFMS、BTと協力することで、当社の安全な量子通信技術をスマートマニュファクチュアリングアプリケーションで実証できるようになりました。量子信号を通常のデータ伝送用ファイバーに多重化することで、BT社の標準的なファイバー製品にQKDを統合することができ、高価な専用インフラなしにQKDを展開することが可能になりました」

 

量子コンピューティングは、ブレグジット後の世界における英国経済の変革において重要な役割を果たし、コネクテッドスマートファクトリーとインダストリー4.0の将来に大きな影響を与える可能性があると期待されている。

 

関連サイト

※ 関連サイトには、(株)東芝以外の企業・団体が運営するウェブサイトへのリンクが含まれています。

量子暗号通信トップページ|Quantum Key Distribution

https://www.toshiba.eu/pages/eu/Cambridge-Research-Laboratory/quantum-key-distribution

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