QOLを低下させない身体に優しいがん治療の最前線【前編】
─「原点は、ユーザー視点」患者さんと医師の負担を軽く

2022/01/12 Toshiba Clip編集部

この記事の要点は...

  • 国内7台目のがん治療装置「重粒子線治療装置」が山形大学へ導入・治療スタート!
  • 超巨大装置を、東芝の技術で世界最小に!?
  • ハイレベルで精密なシステムを前に計画難航。熱き医療者と技術者の挑戦
QOLを低下させない身体に優しいがん治療の最前線【前編】<BR>─「原点は、ユーザー視点」患者さんと医師の負担を軽く

2018年11月某日、仙台港に到着した船舶から、大型構造物が特殊輸送トラックに移されていた。トラックの行き先は、山形大学医学部附属病院。車が少ない深夜の時間帯を選び、慎重に陸送された。積み荷は『重粒子線治療装置の主要製品である回転ガントリー』を分割した筐体、東芝の京浜事業所で製造された日本に数台しかない最新機器だ。搬入から2年半を経て、2021年2月に待望の治療が開始。東北地方のがん治療に、新たな選択肢をもたらした

 

本記事ではこの装置の導入に際し、様々なハードルを乗り越え、治療スタートにこぎ着けたプロフェッショナルたちの舞台裏に迫る。

 

山形大学東日本重粒子センターに導入された「重粒子線治療装置」

山形大学東日本重粒子センターに導入された「重粒子線治療装置」

がんは特別な病気ではない。日本人の死因1位であり、日本人の2人に1人は罹患する。しかし、医療の進歩により、早期発見、早期治療による治癒率の向上が期待されるのも事実である。そこで重要視されているのが、QOL(Quality of Life)の改善だ。

 

山形大学医学部東日本重粒子センター(以下、東日本重粒子センター)を率いる根本建二医師は、医療現場から見た重粒子線がん治療のメリットをこう語る。

 

「最大のポイントは、臓器を残したまま治療ができること。また、高齢の患者さんは、合併症があって治療選択肢が限られる場合もありますが、そういったケースでも、比較的、治療が可能です。QOLの観点では、通院での治療が可能なので、仕事を休んだり辞めたりしなくても済むのも、大きな利点です」

 

がんの治療法は、外科手術・化学療法・放射線治療の3つに大別される。それぞれに長所・短所はあるが、なかでも比較的、身体的負担と全身への影響を抑えられるのが放射線治療だ。放射線治療は一般的に、X線を患部に照射してがん細胞を死滅させる。近年、注目されているのが、重粒子線を使った治療だ。

 

炭素イオンを使用した重粒子線で、がんの病巣にペンシル状ビームをピンポイント照射

炭素イオンを使用した重粒子線で、がんの病巣にペンシル状ビームをピンポイント照射

重粒子線は、そのエネルギーに応じて身体の一定の深さに到達した際に、電離作用で周りに与えるエネルギーが一気に高くなるのが特徴だ。一方、X線やγ線のエネルギーは、体の表面から奥に入るにつれ散乱すると共に、その電離作用が低くなる。つまり、身体の表面近くで効果が最も大きく、身体の中を進むにしたがって効果は次第に弱まっていく。これでは、身体の深部にあるがん細胞に威力が伝わりにくく、手前にある正常な細胞にダメージを与えてしまう。

※放射線が物質を通過する際、そのエネルギーにより物質中の原子が持つ電子(マイナス電荷)をはじき出し、プラス電荷の原子と自由電子に分離すること

 

その点、重粒子線はエネルギーを調整することで 電離作用が高くなるピーク(ブラッグピーク)をがん腫瘍に合わせることで、正常な細胞へのダメージを抑えながら、がん腫瘍を破壊することが可能だ。結果として、身体への負荷や副作用を最小限に抑えることが期待される。そのため、次世代のがん治療として重粒子線の普及が期待されている。

世界最小を実現! 重粒子線治療装置(回転ガントリー)の小型化

がん治療のパラダイムシフトであり、東北地方のがん治療に新たな希望を灯した、東日本重粒子センターの重粒子線治療装置。しかし、設置から治療開始までの道のりは、容易なものではなかった。治療を実現できたのは、それぞれの分野のプロフェッショナルがその役割に徹し、妥協なき仕事に取り組んだからだ。今回は、多数の関係者の中から、東日本重粒子センター、ビードットメディカル*、東芝エネルギーシステムズの担当者に話を聞き、当時の状況を紐解くことにする。

※放射線医学総合研究所を出身母体とし、そこで培った高度な技術と様々なノウハウを持つスタートアップ企業

 

彼らの話を理解しやすくするためにも、まずは、重粒子線治療装置の概要を簡単に説明しておく必要があるだろう。重粒子線治療装置は、大きく二つの要素からなる。一つは、シンクロトロンと呼ばれる加速器。もう一つは、治療室だ。

 

加速器とは、前述の炭素イオンを光の速さの約70%まで加速させる機器で、これによって大きなエネルギーを得た重粒子線が発生する。加速器でエネルギーを付与された重粒子線は、高エネルギー輸送系を通じて治療室にある照射ポートに輸送される仕組みだ。国内初の重粒子線治療装置「HIMAC(Heavy Ion Medical Accelerator in Chiba)」は設置にサッカー場ほどの面積が必要だったが、東日本重粒子センターの重粒子線治療装置では体育館程度の面積である。

 

重粒子線治療装置の全体像

重粒子線治療装置の全体像

一方、治療室は、輸送された重粒子線をビームとして患部に照射する部屋だ。照射方向によってタイプが分かれており、「固定照射室」と「回転ガントリー照射室」の二部屋が準備されている。患者さんが横たわる治療台は7つの関節を持ったロボットアーム型であり、患部の画像を元に照射箇所を最適な位置にセッティングする。

 

また、回転ガントリーは、超伝導電磁石を利用した最先端の技術を採用。ガントリー自体が360°自由に動くので、どの角度からでも精密に重粒子線をビーム照射でき、身体に無理がない姿勢で治療が受けられ、治療範囲も大幅に拡大した。また、世界最小のサイズで比較的、建屋内に設置しやすいのも大きな特徴だ。

 

その他にも、患部における照射位置設定の自動化、呼吸に伴い動く臓器への照射位置の同期、スキャニング照射技術など、様々な要素が加わることで、重粒子線によるがん治療が可能になる。

超精密機械の緻密さと安全性の前に、忍耐の「ビーム調整」

高度なテクノロジーが結集している重粒子線治療装置。一般の放射線治療機器よりも、施設内に最適化して設置することが重要になる。そこには、大きな困難が立ちはだかったという。その一つが、加速器や重粒子線のビーム照射などの調整だ。

 

東日本重粒子センターに所属する医学物理士で、重粒子線治療装置の精度管理と調整、安全性の検証に携わる想田氏は、当時をこう述懐した。

 

「重粒子線治療装置は、運転中に周囲に放射線を発生します。それ故、放射線を遮蔽し安全性を担保しているか、原子力規制庁の審査を受ける必要があります。審査に合格するには、装置がしっかりと動き、指定条件下で最大出力のビームを実現した上で、それが各治療室に輸送される過程で放射線が遮蔽されていると証明しなくてはいけません。まず、このビーム部分の調整が第一の課題でした」(想田氏)

 

山形大学大学院医学系研究科 先進的医科学専攻 重粒子線医学講座 講師 想田 光氏

山形大学大学院医学系研究科 先進的医科学専攻 重粒子線医学講座 講師 想田 光氏

繊細なビーム調整を請け負ったのが、高度な技術と多彩なノウハウを持つスタートアップ企業、ビードットメディカルだ。ビードットメディカルの主要メンバーは放射線医学総合研究所の出身者で構成され、同研究所では放射線や同位元素を用いた疾病の治療と診断などが専門的に研究されている。東日本重粒子センターのビーム調整のほか、加速器関係の設計支援も担い、最前線に立ったのが皿谷氏だ。

 

「まず、加速させたビームを加速器の外へ射出するのが難しかった。なかなか上手くいかず、自分たちの想定より1カ月弱の遅れが出ていました。ビームを照射できなければ、そもそも原子力規制庁の審査も受けられない。かなり、ヒヤヒヤしたのを覚えています。それ以外にも、ビームの元になる炭素イオンを作り出して加速器へと送り出す入射器の設定でも苦労がありましたし、入射・加速・照射、それぞれのフェーズで、大変なことしかなかったですね」(皿谷氏)

 

株式会社ビードットメディカル 技術開発部 エンジニアリング課 課長 皿谷 有一氏

株式会社ビードットメディカル 技術開発部 エンジニアリング課 課長 皿谷 有一氏

実は、当初、想田氏は、設置に関してもう少し楽観的に考えていたという。その理由は『i-ROCK』の存在にあった。

 

「今回、東日本重粒子センターに設置した重粒子線治療装置は、東芝が2015年に導入した、神奈川県立がんセンターの重粒子線治療施設、通称『i-ROCK』に次ぐ二台目です。見た目も変わらないし、正直ほぼ同じものだと高をくくっていました。しかし、実際には様々な改良や最適化が行われており、性能が向上。使う側からすると、内部的にも制御的にもほぼ別物。頭の中に『??』が浮かぶ出来事がいくつも発生しました。結局、改良された部分を一つずつ確認しながら進める方法を取りましたが、かなり困難を極めました。現在でも、毎日ミリ単位の検証を行っています」(想田氏)

 

想田氏の言葉に大きく頷くのは、同じく東日本重粒子センターの金井氏だ。「照射の状態」や「患者さんの治療状況」を管理する情報システムと、放射線治療計画のソフトウェアの導入をメインで担当している。千葉の『量子科学技術研究開発機構QST病院』と神奈川の『i-ROCK』の重粒子線治療装置にも造詣が深い専門家だ。

 

「千葉にも神奈川にもほぼ同じシステムが存在します。それを経て、東日本重粒子センターへの導入だったので、もしトラブルがあっても対応できる程度だろうと考えていました。しかし、情報システムで大幅な設定変更が必要に。少し改良すると、影響範囲が大きいことを思い知らされました。なかなか、思い通りにはいかないものでした」(金井氏)

 

山形大学医学部 東北未来がん医療学講座 助教 金井 貴幸氏

山形大学医学部 東北未来がん医療学講座 助教 金井 貴幸氏

医師と患者さんからの期待膨らみ、治療予約数は想定の3倍以上!

一振りで理想を叶える魔法のステッキはない。既存の成功体験は捨て、全く新しい装置を設置するという認識で各人が地道な作業を進めた結果、調整は一歩ずつ進んでいった。特に調整がスムーズに進んだのが、加速器から治療室まで重粒子線を輸送するラインだ。使用される磁石の磁場測定をかなり念入りに行ったという。

 

「使用する磁石の磁場精度が0.0何%ずれただけでも、ビーム位置は1mm程度、動いてしまいます。それがいくつも重なれば、ビームが治療室まで届かなくなってしまう。もし、そんなことになれば、さらに2カ月以上、治療開始が遅れていたかもしれません。i-ROCKでは磁場測定で改善の余地があり苦労しましたので、その経験が生きました」と皿谷氏は振り返る。

 

東日本重粒子センターのビーム輸送ライン

東日本重粒子センターのビーム輸送ライン

そんな状況のなか、治療開始日が最終決定される。2021年2月25日。残りの期間は、半年しかなかった。想田氏は「この時点で、すでに治療開始の予定日を2回延長していました。山形県内はもちろん県外からも期待が大きく、患者さんのために遅らせてはなりません。最終目標がはっきりと見えたことで、そこに間に合わせるためには何が必要かを逆算することができました」と当時の心境を語る。

 

「この半年間が、装置調整で最も重要な期間になった」と話すのは、金井氏だ。3日に一度は、がん治療を担当する医師たちから「本当に間に合うのか」という問い合わせがあったという。当然、最高の医療を早く患者さんに受けさせたいという思いからだ。その思いは、東日本重粒子センターに携わる全員のモチベーションとなった。金井氏も「絶対に間に合わせる、頑張らなければ」と強く感じていた。

 

そして2021年2月25日、全員の努力が実り、最初の治療が無事に開始された。「すでに、予約患者数は想定の3倍に達しています」と金井氏。いかに、東北地方のがん患者さんが待ちわびていたか分かるだろう。

 

後編では、より効果的な重粒子線がん治療を実現するソフト面での挑戦、そして、患者さんだけでなくコストにも配慮した技術について、掘り下げていきたい。

 

 

東芝エネルギーシステムズ株式会社 | 重粒子線治療装置

https://www.toshiba-energy.com/heavy-ion/index_j.htm

株式会社ビードットメディカル

https://bdotmed.co.jp/index.html

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