元東電社員の奮戦 太陽光発電がけん引する、被災地の再生

2016/11/09 Toshiba Clip編集部

この記事の要点は...

  • 復興は物の支援から仕組みの支援に
  • 震災から2年の節目に開業
  • 自然エネルギー体験の場として設計
元東電社員の奮戦 太陽光発電がけん引する、被災地の再生

東日本大震災によって甚大な被害を受けた福島県南相馬市。復興に向けたさまざまな動きの中で、再生可能エネルギーの普及・啓発と次世代の人材育成を掲げて始動したのが「南相馬ソーラー・アグリパーク」である。

 

大規模な太陽光発電を整備し、そのエネルギーで植物工場を稼働。さらに、子どもたちの学びの場である体験ゾーンも併設する。エネルギーを地域に循環させるだけではなく、復興のさらに先、未来を担う人材を育成する仕組みづくりを進めるのが、一般社団法人「あすびと福島」代表の半谷栄寿氏だ。今回は、半谷氏とメガソーラー設備の導入を手がけた東芝太陽光事業の新井本武士氏との対談を通し、「南相馬ソーラー・アグリパーク」が大震災から2年目にして始動するまでの奮闘を追う。

一般社団法人あすびと福島 代表理事 半谷栄寿氏

一般社団法人あすびと福島 代表理事 半谷栄寿氏

未曾有の震災から5年――3.11から続く地域復興への思い

一般社団法人 あすびと福島 代表理事 半谷栄寿氏(以下 半谷) 東日本大震災から5年がたち、風化も懸念されていますが、復興はまだまだこれからです。被災地では、私たち「あすびと福島」が東芝さんの協力を得て立ち上げた「南相馬ソーラー・アグリパーク」をはじめ、復興に向けた取り組みは今なお続いています。

 

東芝 新井本武士氏(以下 新井本) 半谷さんは南相馬市のご出身ということで、まず個人的に復興に尽力されたと伺っています。震災直後は2トントラックを運転し、南相馬に支援物資を届けられていたそうですね。

 

半谷 私の最初にやるべきことでした。私は2010年まで東京電力の新規事業の担当役員を務めておりました。既に退職していたとはいえ、福島第一原子力発電所の甚大な事故は胸を痛めました。2016年の今なお、まだ8万人もの方が避難生活を余儀なくされています。この事態に対して、私は生涯、責任を背負っていかなければいけません。

 

新井本 そこで構想されたのが、福島の復興を担う若い人材の育成でした。半谷さんは、震災前から環境NPOとして森林の間伐などを行う「森の町内会」活動を継続していました。その活動には、東芝もCSR活動の一環として参画していました。そのご縁があり、「南相馬ソーラー・アグリパーク」の立ち上げに際してもお話をいただいたんですよね。

 

半谷 そうなんです。子どもたちの成長のために考えたのは、誰もが賛同する自然エネルギー体験。特に、太陽光発電の体験学習を構想した時、真っ先に浮かんだのが東芝さんだったんです。元東電の半谷ではなく、環境NPOとしてご一緒している半谷として、東芝さんに支援をお願いしたところ、快諾していただいた経緯があります。既に震災発生から数か月がたっており、支援物資の役割は終わろうとしていました。真の復興を目指すためには、物の支援よりも仕組みの支援が必要になる――東芝さんの認識と私の思いが一致し、パーク建設に向けた取り組みが始まったのです。

東芝 新井本武士氏

東芝 新井本武士氏

明日をつくり、切り開くために「仕組み」の支援が始まった

半谷 「南相馬ソーラー・アグリパーク」の全貌をあらためて整理してみましょう。土地は南相馬市の市有地で、施設内にはあすびと福島のグループ会社である福島復興ソーラー株式会社が建設した太陽光発電所、市が建設し地元の農業生産法人が運営している植物工場があります。

南相馬ソーラー・アグリパーク 植物工場

南相馬ソーラー・アグリパーク 植物工場

新井本 私たち東芝が主にサポートしたのは太陽光発電所です。約1haのスペースに2,016枚のパネルを設置した500kWのメガソーラー。約100kW分を植物工場に供給し、残りは東北電力に売電しています。まさに、自然エネルギーと農業が融合した新たな産業の形がここにありますね。そして、半谷さんの念願である学びの場が、センターハウスと体験ゾーン。太陽光発電所の本物の施設を使った「巡視点検体験」、可動式の太陽光パネルによる「発電研究体験」ができるようになっています。

 

半谷 この本物の体験施設を見るたび、新井本さんとの出会いを思い出します。農業にも役立ち、子どもたちの体験学習の場としても機能する。そんな太陽光発電所を設計・施工したいということで、CSRのご担当から、エンジニアリングの新井本さんを紹介してもらいましたね。新井本さんは、この話を初めて聞いた時はどう思われましたか? 

 

新井本 様々な企業、自治体の太陽光発電事業を手がけてきましたが、これまでの経験とまったく異なっていたのが、「子どもたちの体験学習をする」という役割です。電気を作って販売するだけではない太陽光発電所は、私たちにとっても初めての挑戦でした。

 

半谷 そうですよね。私たちも太陽光発電設備の専門的な知識はないので、具体的な仕様は新井本さんとお話し、密に相談しながら決めていきましたね。今までにない発想ですよね。巡視点検をしたり、発電研究をしたりするようなスペースを設計するというのは。

 

新井本 ええ。私の役割はプロジェクト全体の取りまとめ、システムの設計ですから、こちらからも極力アイデアを出し、ご理解をいただきながら進めてきました。体験設備を設計するのは、先ほど申しましたように初挑戦で、なかなかの難事です。しかし、そこには「子どもたちのために創る」という意義がある。私たちも大変やりがいを持って臨ませていただきました。

南相馬ソーラー・アグリパーク 太陽光発電

震災からわずか2年、官民一体で学びの場が完成

半谷 2012年5月になって農水省さんの補助金が決まり、東芝さんからの出資もいただきました。福島復興ソーラー株式会社は資本金1,500万円というコンパクトなスタートでしたが、農水省の補助金9,000万円、東芝の出資金1億円を合わせ、目標の2億円を上回る建設資金を得ることができたんです。私としては、申請の書類づくりが大変だったことを思い出します。新井本さん、あの書類のバインダーは10㎝ぐらいありましたよね。

 

新井本 そうでした。半谷さんは補助金の申請に苦闘されていましたね。私たちとしては、土地の調整も大変だったことを思い出します。パークは、津波で被災した宅地と農地でした。南相馬市が地権者の皆さんと円満に協議を進め、市有地となりました。農地の転用手続きは大変で、スケジュールが迫ってきました。私たちとしては、品質を担保しつつ、短工期内で納品するというのが大命題ですからね。

 

半谷 ご苦労をおかけしました。着工は2012年12月ですが、私としては震災からちょうど2年になる「2013年3月11日」のオープンに、すごくこだわりを持っていました。震災の節目に、前進の象徴として何としてでも完成させたい。その思いをくんでいただけたのが何よりうれしかった。

 

新井本 スケジュール的には非常に厳しかったのですが、先ほど挙げた「子どもたちのために」という意義に加えて、「震災の節目に」という半谷さんの思いも痛いほど分かりました。2年が経つと、被災地の復興はまだまだでも、他地域ではどんどん震災の記憶が風化していくのは避けられません。半谷さんの志を実現すべく、私たちも真剣に取り組んだ。意気に感じることで、東芝のメンバーもいいムードで仕事ができたと感じています。

南相馬ソーラー・アグリパーク 太陽光発電所

南相馬ソーラー・アグリパーク 太陽光発電所

半谷 まさに意気に感じていただいた……それは何よりうれしい言葉ですね。新井本さんをはじめ東芝さんのエンジニアの皆さん、営業の方たちも間に入ってご苦労いただきました。現場を見ると、皆さんがいきいきと働く姿があり、私たちの励みにもなりました。2013年の3月11日のオープンの日には、南相馬市長にも来ていただき、南相馬の子どもたちと一緒に種まきをしましたね。あのオープンから3年以上が経ちました。南相馬市に約3,500人の小中学生がいますが、この「南相馬ソーラー・アグリパーク」では、2,500人もの子どもたちに体験学習に来てもらっています。パークを立ち上げた意味はこの数字に表れていますが、真の復興はまだまだこれからです。次は、これからの展望についても、新井本さんと話し合っていきましょう。

一般社団法人 あすびと福島 代表理事 半谷栄寿氏(右)、東芝 新井本武士氏(左)

【対談 後編へ続く】 

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